経堂の由来

接骨院の近くに「経堂」とゆう地名があります
私はふとその地名が気になった。
何か仏教系に関係のある事なのだろうかと調べ始めましたた。

事は元亀三年(1572年)に遡ります。
新庄城は上杉謙信の一つの拠点でしたが、この年、一向一揆軍との戦いが繰り広げられました。

西新庄から田中町一帯で相対し双方多数の戦死者が出て、びや川の流れも血に染まったといわれます。

俗に「尻垂坂の戦い」と呼ばれます。
この戦いは一向一揆軍の敗北に終わりましたが、謙信は首実検をして、その首を穴に埋め、

その上に石塔を建てました。それを「薄地蔵尊」と呼びました。

また戦死者を弔うために「経堂」を建てました。これが地名の由来といわれています

今回とても勉強となりました

新たな歴史を感じる事が出来ました