最近私は上司に「自分本位な所があるよ」と言われました。
その言葉を聞いて、ふと「トマトやカボチャのようではなくキュウリのようになりなさい」
という言葉を思い出しました。
この言葉は、曹洞宗・安泰寺の住職を務めたドイツ人のネルケ無方住職の言葉です。
本来はこの言葉はお弟子さんに対しての言葉でした。
しかし、我々にも十分に当てはまる言葉だと感じました。
ではどういう言葉なのだろうか
この言葉を説くヒントとしては、上げられた3つの野菜の特徴が重要です。
トマトは一本の紐では育たず、頑丈な支柱を必要とし、また何日かおきに
その支柱に結び直さなければ倒れてしまううえ、余分な芽を摘まなければ、
緑ばかりが生い茂り実がならなく、手間ばかりかかり主体性が無い
つまりは素直で言われた事はよく聞きその通りに動くが、
自立できていないと言うことです。
カボチャは一本の紐を無視してそこら中にツルを伸ばす。
そのままにしておくと他の野菜を覆い駄目にしてしまう。
つまりは「俺が、俺が」と周りを顧みず好き勝手に伸びる
自己中心的な事だと言うことです。
キュウリは種をまきある程度育てば一本紐さえ垂らせばまっすぐに伸びて
実がつく
つまりは示された道を自分で考えていくと言うことです
ここでは紐は「仏教の教え」を指していますが、仏教の教えだけで無く
「周りからの導きや教授」など普段の事にも十分に置き換える事が可能だと思います。
私は改めて自分が「俺が俺が」とカボチャのようだったと感じました。
これを気に少しでもキュウリのように自立した者になろうと感じました。
皆さんはご自身はどうでしょう今一度、自分を見つめ直してみてもいいかもしれません。