8年前の1月17日に阪神淡路大震災があり、その後も未曾有の災害が続きました。
富山県はその中でも災害が少なく、生活していきました。
しかし、油断してはなりません。なぜなら、かつて富山県にも未曾有の被害を残した
大きな災害があったからです。
「飛越地震」と呼ばれ富山にも大きな被害をもたらしました。
1858年4月9日(安政5年2月26日)に発生した地震で安政年間に多発した、
安政の大地震の1つに当たります。
富山県と岐阜県の県境の跡津川断層で発生し、M7.0~7.1と推定されています。
この地震は両県にかなりの被害をもたらした。
その中でも今回は富山県の方の被害を見ていく。
この地震により、立山連峰では大鳶山・小鳶山が崩壊した。通称「鳶山崩れ(大鳶崩れ)」
これにより立山カルデラに大量の土砂が流れ込み、常願寺川に河道閉塞が起き、
堰止め湖が形成されました。
この堰止め湖は4月23日(旧暦3月10日)、6月8日(旧暦4月26日)の余震及び
近隣で発生した誘発地震(大町付近 推定M5.7)により二度にわたり決壊し、
下流の平野部に大きな被害をもたらしました。
3万石以上に相当する田地が土砂に埋まり、多数の死者と流失家屋が出ました。
一度目の洪水で農業用水が埋まり、その復旧工事にあたっていた人が、
二度目の洪水に襲われて溺死したところもあったそうです。
他にも神通川や黒部川など、各地で河道閉塞が発生したことが記録されています。
この地震では接骨院のある中川原にも被害が及んでいます。
神通川からいたち川へ入りそこから、氾濫しもちろん中川原のあたりにも被害が
起こっています。
これだけの広範囲に及ぶ未曾有の地震が富山でも起こったことを忘れてはならない
地震や台風など自然災害が少ないからと言って油断してはいけない
災害が少ないのは立山連峰のおかげであると言われているが、
その立山連峰がいつ牙を剥くか判らない
我々は常に防災意識を持っておかねばならぬと、改めて考えさせられる。