愛宕百韻

今より、丁度440年前の天正10年(1582年)5月27日、戦国武将・明智光秀は京都の愛宕山にある、愛宕神社を参拝しました。この時、明智光秀は境内にあるおみくじを引き、くじが「凶」と出たため、その後2度3度と幾度と「大吉」が出るまでおみくじを引き直したといいます。

翌5月28日、同じ愛宕山にある愛宕山西坊にて連歌会が開かれました。

連歌会は、当時の文化や教養を参加者が披露し、学び合う社交行事の代表的なものとして定期的に行われていました。

この連歌会にて、光秀が詠んだとされる句が【時はいま 天が下しる 五月かな】という有名な句です。

「時はいま」の時とは、清和源氏土岐氏の土岐一族のことを示していると考えられており、土岐氏の支流氏族でもある明智光秀の明智氏のことであると考えられており、この句は明智光秀自身が「自分が天下を取る」=「本能寺の変を起こす」意思表示だったのではないか?と長年言われてきました。この句を詠んだ1週間も経たない6月2日に本能寺の変が起きましたが、光秀がこの句を詠んだその真意については440年経った現在も謎に包まれています。

一昨年(2020年)の大河ドラマの主人公にもなった明智光秀が、日本の歴史を大きく変えた歴史的大事件にして、日本史最大のミステリーとも言われる本能寺の変から間もなく440年の節目を迎えるにあたり、改めて当時の明智光秀に思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。